不機嫌タイムの身の振り方

不機嫌な時って何も書かない方が良いのかな、と昨年辺りに思い始めていた。しかし、今読んでいる本のエッセイを読んでいると、そういう時にでも書いて良いのかという考えに変わった。

プロの作家でさえ、エッセイとなると感情に左右された文章を形成しているし、そうしてもちゃんと成り立つのだなと。それでも最後はブレーキをかけてくるのでそういうところは作品であると思います。

SNSではトゲトゲしさとか毒を吐くようなニュアンスはあまり面白がられない(真面目に、正論を持って受け取られやすい)のでよそ行きの書き方になっている気もする。

2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)で、ある事柄に対してミスチルの歌詞で意見を言うみたいな人がいて、それに自分が会話として成立するようにまたミスチルの歌詞で返信して数珠つなぎになったことがあったけど、そういう遊びをしたいw

不機嫌な時は尚更そのニュアンスの強度が増す。書いてる内に機嫌がみるみる悪くなっていったりw

例えばアイドルグループのファンだったら褒めないといけないし、プロ野球のファンだったら「選手は悪くない、球団と周りの環境が悪い」という暗黙の論調をベースにしなければならない。

表現の自由と言って実はそんなに表現は多彩にはならないという。それで不機嫌になってたりするのかもw 苛立ちと言うのか。「このカテゴリの時はこうやって書くんだよ、分かってるよね?」という圧力。

「こうやって書く」人だけになったらそのカテゴリのピラミッドで1番影響力のある人の言うこと/書くことを見れば済むことになるということに気付いてもらいたい。

Instagramはインスタ的な書き方というのが何となくあるので、意図したことを文章にはできなくても、メインは画像の方なのであまりしんどくない。

Twitterに困っている。冒頭の、「不機嫌な時に文章を書いて良いものか」につながってくる話だと思うけど、昨年は何度も書いては消して、書いては消していた。

考えがまとまらなかったというのもあるけど、「何か不機嫌だなー。」っていうのが伝わる文章(実際不機嫌なんですがw)になっていて投稿までには至らなかったということがありました。

ジョークとか皮肉とか、もっと言いたいんだけどその種のは真面目に取られるともう終わってしまうんですよね。それで「今のはジョークなんだけど」って自らネタバレしてしまう、みたいな流れになるのが嫌。

読み手側ではなく、書き手側としてはやっぱりブログって相変わらずありがたい存在。ウケるウケない関係なく綴れる。どちらにしろ不特定多数に見られるのは変わりないが、気持ちとして違いが出てくる。

だからブログの記事によってSNSにはシェアしない、みたいなことをやっている。何となく振り分けていますね。

不機嫌な時、あなたならどう書きますか?